そうですね

8時に出社してもケニア人10時とかに来る。。。



これもまた好きなブログからの転送
最近知ったのだけど、わたしが休学した理由そのままです。



職業はどうやって決めるのだろう。
経験したことも、その仕事に感情を動かされた事もない場合、どうやって「よし、保険会社へ行こう」とか「よし、商社だ、金融だ」と決心を固めてるのだろう。
企業説明会や本を読んで、きっとこういう仕事だろうな きっとこういう所に自分は喜びを感じられるだろう。と想像を膨らまして決めるのかな


私はそれがすごく怖い...自分に思い込ませるのが怖い。
似た仕事にも関わった事が無ければ、その仕事に嬉しさを感じるか感じないかも知らず、現場も見ず「よし これだ!」と決めるの怖い


いつか出会った人が「途上国に行ったことは無いですけど、途上国の交通渋滞を変えたい!」と言ってる人すごく不思議だった。



―引用―


そもそも、「何かがやりたい」と話をされた時に、「なぜやりたいのか」なんてことは、いくらでも自己洗脳してでっちあげることはできるので聞くだけ無駄だと思う。一方で、「関連することで、実際過去に何をしたのか」はでっちあげることはできない。そして、「どうしてもやりたいけど実際に関係することに努力をしたことはほとんどありません、でもどうしてもやりたいんです」なんてことはどう考えても不自然なのだ。
「思考」や「他人からの情報」によって情熱は生まれない事が多い。あくまで自分の経験を通じて、ハートがズキューン!と動くことが大事なのだ。


―――――



今「よし、保険に行こう!保険って人々に安心をあたえる重要なインフラだよね!」って思う事は出来るけど、その根拠が自分の中にない。保険で私は生きる!と思わされる体験がない。それは思いこみか妄想でしかない。




仕入れ・製造・マーケティングと色んな人が携わって苦労して作り上げた商品を、世の中に送りだす。それを誰かが「これ欲しい!!」と思って買ってくれる事がこんなに嬉しい事なのか!というのはマザーハウスで働く事で知った。
初めて商品が売れた時はお客さんが去ったあと、上司に向かって「自分が携わった商品が売れるってこんなに嬉しい事なんですねえ」って泣いた。こういう「感情」はずっと忘れる事は出来ないし、自分はこういう仕事が好きなんだなぁって知った。



コンサルのインターンも結果として「ああ、コンサル向いてない。」で終わったけど、それを体験から実感出来た事はものすごく大きな収穫だった。
きっと体験しなかったら「色んな人とタッグを組んで彼らのビジネスを支えて一緒に成功を目指していくのってすごく面白そう!」と想像して、コンサルタントとか目指しちゃって悲惨な事になってたかもしれない。




特に私は興味がない事には心から打ちこむ事が本当にほんとに出来ない性格だから、入社後のミスマッチが起きたら超悲劇


少しでもベストマッチの可能性を上げる為に、今出来るだけ自分の心で体感しようとしてるのかな。

文章に出てくるけど


「一度も仕事をしたことがない学生が、医者になりたいのか、エンジニアになりたいのかなんて、わからないだろう。まして仕事をしたことがない学生が「やりたい仕事がわからない」なんてのは、僕には当たり前に思える。」

本当にそうですよね。。
私もうじうじ「一体何やりたいんだろう」とか言ってないで動き続けよう


マンボ!ジャンボ!ハクナマタタ!ポレポレ―!



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経験が情熱を生む


前回の検索ワードの発表で、「やりたい仕事がない」という検索ワードがあまりにも多かったので、今日はそれに関する、ちょー当たり前っぽい話を書いてみたい。


結論から言うと、僕の意見では、「やりたいこと」なんてのは、考えたってポンとわいて出てくるものではなく、自分の行動を通じた経験から、たまたま生まれるものだと思う。だから、悩んでもムダだと思うし、そもそも悩みですらないと思う。

突然だけど、すごく好きな食べ物ってあるよね。例えば、一時間列に並んでも食べたいものとか。でも、食べたことが無いものに一時間ならぶ努力するなんて情熱、ふつうないよね。だけどひとたび食べて好きになってしまえば、並ぶ努力が苦でも乗り越えられてしまう。

感情に関わるものって、大体そんなものだと思う。そうした、自分自身の直接の経験から生まれる感情(喜び、怒り、悲しみ)こそが、情熱をドライブするのだ。そして、その情熱こそが、何かすごい事をやる上での馬力を生み出す根源だ。逆に言えば、経験を伴わない、「思考」や「他人からの情報」によって情熱は生まれない事が多い。あくまで自分の経験を通じて、ハートがズキューン!と動くことが大事なのだ。

例えば、すごい情熱で英語の勉強してる人は、「論理的必要性に駆られている」、というよりは、「何気なく行った海外で、自分のあまりの英語の出来なさが悲しかったとか、英語ができる連中との差が悔しかったとか、英語ができない為にバカを見た自分に腹が立ったとか、片言の英語で友情を育んだことが嬉しかった」という人が多いと思う。仕事でもそう・・・例えば途上国援助の仕事としよう。人は、コタツでテレビみてるとき、「次のニュースです。今年、どこどこの国は貧困により何人が餓死しました。いやー大変ですね。はい次のニュースです。」というのを見て、「何だとぉ!そんな事は許されねえ!よーし途上国の貧困を解決するために残りの人生かけるぞ、どんな苦難を乗り越えても俺はやり遂げる!」とは、ふつー、思わない(すごい想像力がない限り)。むしろ、ある貧乏な国を旅している中で、その場の空気を吸い、その場の現実を自分の五感で体験し、現地の人と笑い、現地の問題を一緒に悲しむ中で、「この国の人々の笑顔が俺は大好きだ。でもこの国が抱えている問題は本当に難しいし、それを解決できないのは悔しい!みんなのために、俺には何かができるはずだ!」みたいに思っているからやっている人のほうが多いだろう。

で、こういう例で何がいいたいかと言うと、

「行動」せずして「経験」することはない。
「経験」なくして「感情」は動かない。
「感情」なくして「情熱」は生まれない。
「情熱」なくして「継続的に何かを続けるモチベーション」は生まれない。
「継続的に何かを続けるモチベーション」なくして、難しいことを実現することは難しい。
ということだ。

重要なポイントは、行動こそが、全ての出発点だということだ。後先考えずにいろんな行動をする人は、いろんなところで感情が動く経験をつんでいるため、いろんなことに情熱を持つことができる。裏を返せば、そもそも人間というのは、何も経験していないデフォルト(初期状態)では、モチベーションなんて、何に対してもぜんっぜん無いと思う。例えば、ゲームを一度もやったことも見たこともない子供が、プレステを買ったとしても、ロールプレイングゲームがやりたいのか、シューティングゲームがやりたいのかなんて、わからないだろう。同じように、一度も仕事をしたことがない学生が、医者になりたいのか、エンジニアになりたいのかなんて、わからないだろう。まして仕事をしたことがない学生が「やりたい仕事がわからない」なんてのは、僕には当たり前に思える。

なので、こういう相談を受けると、「すみませんプレステ3の本体を買ったんですけど、やりたいゲームがないんで困ってます」と言われてるように聞こえて、それ困ってないだろ!と思ってしまうのである。いいじゃん、別にやりたいことなんて無くても。やりたいことがないのは、困ってない証拠だよ。困ってるというのは、どうしてもやりたい事、やりたくない事がある人が、目的地に届いていない状態のことでしょう。そうやって苦しんでいる人の横で、「やりたいこと無いッス、困りました」と言われても、アドバイス不能です。目的地がない人は、目指さなきゃいけない場所自体が定まってない。右にいったらいいのか、左にいったらいいのかわからない。どっちがいいのかという情報を誰もくれない。だから、迷ってるだけだ。

しかし、人に聞いてもムダじゃないかな。右がいいのか、左がいいのか・・・つまり何に情熱を感じるかなんて、自分の心以外のどこにも書いてないんだから。自分でやってみて、好きなのがあるなら打ち込めばいいし、ないならないで誰も困らないし、適当にやっとけばいいじゃん。やりたい仕事がないなら仕事時間は「金のための我慢」と割り切ってプライベートを思い切り楽しめばいい。仕事は義務という意味で趣味のゲームとはちょっと違うにしても、どちらにせよ、「どうしてもやりたい事を見つけて選ばなければならない義務がある」もんじゃない。だから、「やりたいことがなきゃいけない」なんて事を悩む意味はあまりないと思う。(それでも悩む人が多いのは、大人になるまでは、親がモチベーションをくれていたからかもしれない。親が喜ぶことをすると自分も嬉しいとか、親の期待を裏切るのが恐ろしいとかも、立派な「経験を通じた感情」なんだけど、大人になったら自立しちゃうのでそのモチベーションは保てない。でも自立しきっているわけじゃないから、親以外の誰かに答を求めてしまうのだろうが、やっぱり人に聞くのはムダだと思う。)

一方で、引きこもって考えるのもやっぱり無駄でしょう。「経験」なくして「感情」は動かないと書いたが、感情に関するものは、戦略的に計画したり操作したりできない。どんな仕事が好きになるのかなんて、出会う前にはわからない。小学生が「僕は24歳で運命の人と出会い、26歳で結婚する計画です」といったらバカだと思うかもしれないが、これは、愛情を含め、感情の動きを事前に計画することは不可能だからでしょう。そこで無理やり戦略的に計画・操作すれば、後になってから、実はやりたくない事だったとか、実は結婚したくない人と結婚してたとかいうことに気付いて、苦しくなるかもしれない。

やりたいことが欲しいなら、「やりたいことがなければならない」なんて義務感を捨て、とにかく行動してみるしかないと思う。落ち着いた、自然な、素直な気持ちで、心をオープンにして、どんどん新しいことに挑戦しよう。いつかハートが動く経験と、偶然出会うまでは感情はピクリとも動かないと思う。でも、ひとたび出会ってしまえばハートはガーン!と打ちのめされて、いきなり勝手に目標が生まれてしまって、その目標を達成できていない状態が相対的に苦痛すぎて、そこから抜けるためにものすごいモチベーションが、自然と生まれるものだ。そう・・・それが恋・・・笑。そこに無理して戦略を持ち込もうとすると、目が曇るよ。焦りは、結論を早く与えてくれるかもしれないけど、大事なのは結論ではなくて、中身でしょう。

だから、ウェブ検索で答えを探そうとなんてしないでほしいんだよね・・・いやマジで。焦って、どこかに答えを探そうとする必要なんてないし、右に行ったらいいのか、左に行ったらいいのかわかんないなら、とりあえず行ってみて、自分のハートに聞いてみたらいいよ。すぐに答が出せなかったとしても、一番よくないのは立ち止まって考える事だと思うしね。



やりたいことがない、モチベーションが保てない。まあ、そんなもんだよね。それが全員の出発点だと思うよ。だからこそ、とりあえずパソコン閉じて、面白そうなこと、やってみようよ!その経験が情熱を生み出すならば、本当の悩みがそこから始まると思うよ。

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ちりもつもれば

あんだけアフリカに行く前に泣いてた私も今や超元気です。
単純人間だ。って改めて実感しました。笑

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私が、今ケニアでお世話になっている会社は微生物の販売をしている。


社長はこの方。素晴らしい方です。
http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/list/list20110519.html
http://globe.asahi.com/breakthrough/100222/01_01.html


トイレにこの微生物入りのOSSと呼ばれる液体をそそぐと、臭いがなくなりハエも寄り付かなくなる。その結果ハエを媒体として感染する「コレラ」や「赤痢」に乳児や子供(もちろん大人も)が感染するのを防ぐ事が出来る。

加えて人の糞尿を自然に対して無害なモノに変え環境を守る事も出来るし、ぼっとんトイレにたまった糞尿の体積を減らす事も出来る。
そんな商品を扱っている会社です



ルワンダはアフリカのシンガポールと呼ばれるほど、色んなモノがかなりorganizeされていて政治も割と健全です。(ビジネス環境はアフリカの中で3番目に整ってるし、企業登録も3日で終える優秀さ。シティもとても綺麗で治安も◎)
なので自社だけで事業を行うのではなく、政府とタッグを組み民間の他に小学校等のスクールにも販売をする事が出来ます。



ケニアは、政治が上から下まで腐っているらしいので政府と協力して事業を行うのは難しく(監督料とか言うわけわかんない賄賂がいっぱい要求される)、自社の力だけでビジネスをしています。顧客はほとんど民間企業。


国によってビジネスの仕方も随分変わるんですねえ。。


少しの間しかいませんでしたが、
ルワンダでは地方の学校を一校、一校、車で周って商品のデリバリー・集金・商品の扱い方の説明、商品効果の検証をやっていました。


一家、一家、一校、一校周って各トイレを衛生的にしていく作業ってすごいミクロのアプローチに思えて、このミクロの努力がどれだけのマクロな効果に繋がるのだろうと途方に暮れる事もありそうだけど



トイレが不衛生な事によって引き起こされる国全体の経済的損失って、インドの場合だと540億ドル(4兆以上!)にも膨らむらしい。


各家庭各学校のトイレが不衛生な事が、こんなにも大きな額の経済的損失になってしまうのだね。


そう考えると今インターン先の会社がやっている地道なアプローチもきっと将来大きな経済的影響をルワンダケニアに与える事が出来るんだろうなあと思います


パイナップル売りを見つけて飛びつく2人!めっっちゃ美味しかった!


私はすぐに結果を見たいせっかちなタイプなので
もっと大きな方法で大きな結果を得られる魔法のようなアプローチはないのだろうかと思ってしまうけれども実際そんなものはないだろう


仕事もきっとそうじゃないかなー
今まで3社でインターンをさせてもらったけれども、その中で華やかな仕事は一つもなかった。華やかに見える仕事の裏は超地道で超地味だった。


特に私はインターンだったので小さな仕事を担当する事が多かった。けど私がやる小さな仕事がないと次に繋がらないものも多かった。
例えば、商品をお店に出す前には、売上データをひたすらPCで見てエクセルで分析して、上司にこの商品はどうですかねえ?って提案して、OKならまたPCでひたすら商品番号入力してPOS登録して、段ボール箱組み立てて、配達伝票書いてって佐川さんに渡して、週次会で売り上げ話し合ってって


文字に起こすと、すごく地味!と改めて思うのだけど笑 でもこのミクロな仕事がなければ、会社の稼ぎも生まれないし、ミクロな仕事の積み重ねがマクロな5億って年商に繋がっているのだ

年商5億って華やかな言葉はひたすらみんなの地道な仕事に支えられているのだ。
塵も積もれば山となる。って事ですよね。
山口さん風に言うと、ミクロの最適がマクロに繋がる。だそうです。同感。



また関係ないけど日本帰ったら給料が出る所でインターンしたいなぁ。(今の所は出ません)
マザーハウスでは3000円の日給が出ていました。
朝7時に出社して遅い時は22時頃まで残ってたので、時給に換算するとえらいこっちゃになるのですが、それでも私はこの3000円を少ないとは思えなかった。


上司に
「利益を出すには、コストを減らすか・売上をあげるかのどちらかしかない。
君がやる仕事は必ずどちらかに属していないといけない」とよく言われてました。

そのおかげで何か仕事にとりかかる前に
今日のこの仕事で私の給料3000円分の稼ぎを出すにはどうすりゃいいんだ?と考える癖が出来たし、何より実際に店舗に立って商品を販売するのではなく、ひたすらPCの前に座って作業をする事務的な仕事から儲けを生み出すにはどうすりゃいいんだ?と考えるのは面白かった。
今日の、コスト減にも利益UPのどちらにも属さない仕事の意味はなんだったんだろう。。なんてよく電車の中で考えてた。


あぁ、今日は私が選んで送った商品が新宿で売れたみたいだ。3000円分は稼いだぞ。と実感して帰れる日もあれば

今日の仕事からは何も会社に利益出してないや。。と反省して帰る日もしばしば。
3000円って額の利益を事務的仕事から出すだけでも、こんなに大変なのかぁ感じる毎日。
今日の仕事はちゃんと給料分稼いだかって考えるのはすごく大切な視点だと思うので、日本帰ったら給料出るインターンをしたいと思います


やっぱり私は非営利団体や、評価が曖昧で責任追及も甘いJICAみたいな組織は向いてないと思います。他人が稼いだお金を配るより、どうやってお金を生み出すかのが興味あるし、社会に必要なサービス商品で「お金を稼ぐ!」って感覚がないとだめです。良い商品を売って合法的なビジネスでの金稼ぎは(たとえ貧困層のBOPからでも)何も悪い事じゃないと思ってます。
私の肉食的性格も影響してると思いますが。。笑


これがアフリカのご飯 ウガリ!結構おいしい


友達


幸せ


この場所に行きたいよー

還暦後

何記事かにわたってアフリカでの日々について書こうと思います!


ルワンダからケニアのオフィスに移動する事になったので、バスで35時間かけてやってきました世界第二位の凶悪都市 ナイロビ!


ナイロビで泊まったのがこのゲストハウス
「JUNGLE JUNCTION」

ここは、アフリカをキャンピングカーやバイク、自転車で旅するバックパッカーに人気の宿で、車の修理の道具など一式揃っています。
ドミトリー・シングル・ダブルもあるけど、広い敷地の庭にテントはって泊まる事も出来ます。

中もとても綺麗で快適。WIFIもキッチンも完備。


キャンピングカーでアフリカ縦断している60代夫婦や、無政府状態とされるコンゴDRCをバイクで超えてきたねーちゃん など沢山の旅人がここに泊まっていて


日本人のチャリダーやライダーもいました。


マラウィに向かう ゆうすけさん。頑張ってください。


還暦迎えてから、キャンピングカーでアフリカ縦断の旅に夫婦で出るなんて最高ですね!考えるだけでワクワクします

日本に帰って仕事に追われても、なんか悩む事があっても外に出れば楽しい事はいっぱいあるって忘れないでおきたいです。


こんなパワフルな人達に出会うと
年取っても家にふさぎ込んでなんかいられないなあと。
私も将来のパートナーと還暦越えたって世界中旅出来るぐらいパワフルなおばーさんになってエキサイティングに生きます


go on

ちょっとだけ。


シンガポールを発ってアフリカ ルワンダに向かった




飛行機に乗って席に座ってから、すぐに貸してもらった小説「痴人の愛」を読み始めた。
バングラデシュに着いた孤独な深夜や、日本を発つ飛行機
海外での生活で私を不安から救ってくれるのはいつも小説だった。物語に入り込めば感情を忘れさせてくれた。
だから少しでも気を紛らわそうと思って、この小説の世界に入り込もうとするけれど、ふと窓から外を見ればさっきまで一緒にいたこの場所を離れてしまう事がまた思い出されて、読み進む事が出来ない。
何かを思い出せば、また目がうるんで、子供みたいにワーーーと泣きだして止まらなくなりそうだから、涙が落ちそうになるのを何度もぐっとこらえる


ムンバイ空港に着いたのは19時過ぎ。
夕焼けと、月を見上げて歩いていたらサンダルが床にひっかかって、ずたーんと転んでしまった。
その衝撃がだめだった。
もう水がたっぷんたっぷんに入ったコップが傾いたみたいに、飛行機の中で何度もこらえた涙がわーっと溢れ出してしまった。
本当に子供みたいに笑。


これからイミグレをこえたり再入国の申請をしたり色々しなきゃいけないのに、どうしよう 会いたい ルワンダでの生活がどんなものになるか分からない  母親 父親 友達に会いたい 漠然とした色々な不安が頭を離れない。



静かな空港をとぼとぼ歩きながらも心の底で 大丈夫、大丈夫と言い聞かせている
これは必要な時間で必要な経験なんだから。
そうしている内にうるんでた視界もはっきり見えるようになってきた
どんな感情も少しずつ消化していくんだなと思った



*綺麗な夕日 


父親とカタールスカイプ

「嫌になって帰りたくなったら帰ってきなさい。心配してるんだから。お金も足りなくなったらいいなさい。」

何にも強がる必要もなく無条件で弱音を吐かせてくれるのが私の親です
本当にありがとう



大事な友達がスカイプでこう言ってくれた。


「就活の面接で、尊敬する友人はいますか?その人はどんな人ですか?って質問に、れいなの事答えてたよ。何にも臆する事なく挑戦出来る人はいるけれど、その人は臆しながらも挑戦していく人です。って」

「今回のアフリカでの経験
絶対将来何にも変え難い宝物になるんだよ

頑張っておいで」

と。

矢作も

「毎日れいぴのこと応援してるからね。わたしも恐れないでがんばるから」
そう言って明日彼女は職場に退職願いを出すらしい。笑 
やはぎもがんばれ





私は空港でアラブ人に揉まれながら、めそめそ一人で泣いているような人で、何度海外に行っても、ちゃんと向こうで上手くやれるのだろうか。という緊張感や大事な人と離れる寂しさは変わらなくて、簡単に色んな選択を決めているようで自分の中ではハードルが高かった事が多いと思う。
100%勇気、の持ち主ではないし
人三倍びびりの私はこれからも色々臆しまくっていくんだろうけど
臆して止めるのではなく、大事な友達が言ってくれたように、臆しながらもちゃんと進んで行ける人でいようと思う!!



すごく嬉しかった 元気にしてくれてありがとう!
ビバきみたち!




この寂しさも不安も涙も大事な感情として残しておきます

20時間のトランジットも終わり

go on !
頑張ろう!!


とりあえず早くお風呂入りたい!



砂漠と石油の国カタールにて

無の強さ

最近感じたこと適当に


まずはビビちゃんからどうぞ。卑猥!


なんでこんなにも人は何かにチャレンジしたりリスクをおかしたり、新しい事はじめるのを恐れるのかね もちろん自分含め
きっとすでに恵まれすぎてるから動けないんだろうね
生まれた時から家があり親がいて食べ物もあり、生活の心配をする必要がなく暮らしてきた
すでにいろんなものを持ちすぎてる それを捨てるのが怖いから動けないんだ
生まれた時から何もない人 すでに何もない人の心って本当強いです


My friend said


You have everything already,money,family,house,friends,dream,boyfriend,,,,everything
So,you are afraid of losing
But I have nothing from the beginning
What am I afraid of ?


私は、今持っているたくさんのものを失うのが怖いですが
彼らは失うものをそもそも持ってない 何が無くなるかなんて考える必要も恐怖もない 


もし彼らと私たちが同じ世界で同じ条件で生きるってなったら、日本人死ぬんじゃないかそっこうで 肉体的にも精神的にも生命力 字のままに生きる力が違いますよ


アップルのジョブスもこんなような事言ってました
自分が育てた会社から辞めさせられてすべてを失った
でもそれと同時にすごい自由を感じた すべてのプレッシャーから解き放たれて今自分どん底なんだから何も恐れる必要ないじゃんって思ったと


全部なくなった時こそ、もう失うものがほかにない時になってこそ
初めて心の底から人生かける事ができそうな気が 心から自由に自分の欲求に正直に生きれる気が

釈迦も執着するなと言っていますし。



でもそんな事言ったら今まで何不自由なく育ててくれた周囲の人に申し訳ないのだけど、とりあえず「無」の強さはすごいって実感しました
そんで、持ちすぎてるなあと。



自分が日常使う物を見まわしてみると、別になくても生きていけるものいっぱいです。
テレビとか冷暖房とかベッドとかソファとか、可愛い服とか、快適なマンションとか最新カメラとか無ければないで生きれます。
ティッシュペーパーもインド式でいけば別に一生必要ないです。
もちろんあったほうが快適ですが、要はどこでも自分の心持ち次第で楽しく生きれる気がするんです


無ければないで困らない物を、失うのを恐れるのはやめます


可愛い服が着れなくなっちゃうかも、とか青山の美容院に行けなくなっちゃうかも。とか恐れて自分の欲求とは異なる、保守的な選択はしたくないです 
私の心の豊かさはそういった物から得られないって知ってるので


本当に必要なものは何なのか見極める思考は大事だと思います
別にラーメンとアイスも一生食べられなくたって困んないんだから。
何かを捨てても自分のしたい事をしてる時が一番心が豊か


高城さんのモノを捨てよ世界に出ようって本ちょっと読んでみたい。

*あと最近見たTED 


http://www.ted.com/talks/lang/ja/graham_hill_less_stuff_more_happiness.html




あと、「死にはしない」って思えるのってすごい事だ
日本でなんか挑戦して失敗して借金抱えてどん底になっても私はまあ、死にはしないだろうって自然と思えます 
もうがりっがりの骨と皮だけになって路上に倒れたらきっと日本社会は救ってくれるだろう。


人によって意見は違うし実際餓えで餓死してる人もいるだろうけど、その可能性は限りなく低く、特に私に限って言えばこの国で私が餓死することはないと思います


けど本当に貧しい国に住む貧しい人々は日々餓えに向き合ってるんだ
普通に「飢え」が原因で死んでしまうんだ 社会は救ってくれない


日本では何か大失敗しても、少なくても生きてはいけるだろう
でも彼らは「少なくても」生きていける。なんて実感が日常にあるのでしょうか


この時点で、日本の私たちにはセーフティネットが十分あるじゃないかと感じる


日本に対する不安も不満もあるけど、最近はなんて恵まれた国に生まれたんだろうって実感するばかりです 
簡単にパスポートとる事が出来て、沢山の国にノービザで入国する事が出来てバイトでもすりゃ近場の海外に行く事が出来て、留学も海外でインターンにも行く事が出来て、こんなに自分次第で何とかなる事が多い国あんのって


もちろん日本の中にも格差はあるんで一概には言えないけど
わたしと、私の周辺の人達は恵まれた人が多いと思う


私より語学も出来てパッションもあってよっぽど優秀な途上国の学生がその才能を手持無沙汰にしてて、わたしのスタンプだらけのパスポートみながら「時々この国に生まれた事を後悔するんだ もし日本に生まれてたら僕も海外に行って色んなチャンス掴めたかもしれないのに」とか言うとなんか、苦しくなります



・全然関係ないけど誕生日パーティー


こういう人達がまともに世界に出てくるようになったら、私の労働市場での価値見出せません
彼らが貧しいおかげで私は職を掴めるんじゃないかと思うぐらい


日本人の学生の中だけで見るんじゃなくて、世界中の学生と比較してみた自分の価値ってなんでしょう


彼らにとっては、もう「日本」に生まれた時点で色んな土台は出来ているんだ
He said “everything is all set”


彼に聞くと、たとえ日本に数日旅行に行くだけでも色々申請したり貯金残高証明したり、ビザを取る為にも長い長いプロセスが必要とされるらしい


そもそもパスポート代とビザ代を貯めるだけで半年とかかかるのに、どうやって日本に行ける?
どんだけの時間かかるんだろう


私今まで海外に出るのにそんな苦労した事ないです 
ほんとに簡単に取れるうえに、こんなにあっちこっちの国入れる日本のパスポートは世界最強パスポート

それを利用しないなんてもったいない
すでにチケットは持ってます
そんな選択肢を生まれながら与えられた人間なんだからこそ、それを使って誰かに貢献しようって思います


明日のランチは何食べようかしら、五右衛門?鷹虎?油そば?それともミキハウス?とか悩めるのって本当それ自体世界人口で見れば少数だよ 10%だけだそうです


与えられた環境をめいっぱい利用して楽しく明るく何かに貢献していきます

綺麗な街にしましょうよといっても

インドって、普通に生きているというかそこに存在しているだけで
色々な事が起こるなあ

インド人の友人と話していて頭に残った会話を忘れないよう記録用に。

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「もうちょっと環境意識したら?街が汚すぎるよ」


「れいな、君は先進国だから環境問題に関心が持てたりするんだ、ここには毎日一食のご飯を確保するために必死に生きてる人達がいるんだ。れいなは生きるために必要なものすべて持ってる。毎日生きるために必死な僕らがどうして環境問題なんて気にしていられる?みんな自分の事で必死だ。君は朝起きて一番に、まずどうやってご飯を今日食べようか心配した事ある?ないでしょ?環境を気にするためには、まずこのpovertyをどうにかしなきゃいけない。」



反論はあったけど思わず黙る
そして「まったくインド人は本当しょうもないんだから・・」みたいな話し方をしてたのが恥ずかしくなる



確かに私は食べ物に飢える心配をした事もなく
生きるためにすべてを持っている



「ここにはルールも何もない。みんなが腐敗している。私もだし外にいる町の人もだ。ここで成功するには正直でいちゃ無理だ。.」


「君や、外国人や、インド人の誰かが「環境を守りましょう」「二酸化炭素減らしましょう〜」なんて叫んでも、だれも助けてくれないよ。外に出てみて彼らが本当にそう動くと思う?みんな自分の事しか気にしてないんだから 」



インドみたいに何千年前からずうっと続いてる歴史の中で根付いた人々の意識を、外人が変えていきましょう!なんてすごく無理がある気がしてくる。




次のインターン先のルワンダで扱う、人糞を肥料に変える事が出来るトイレの消臭剤もインドで売るのは難しいだろうなあ。
日本では人糞を肥料にして食物を育てる文化があるけど、インドでは人糞は「不浄のもの(とんでもねーもの)」として考えられている(もちろん日本でもきたねえと思われてるけどそれとはちょっと違う嫌悪だと思う)から、人糞を肥料に変える事ができる消臭剤がきたところで、それを野菜育てるために使うなんて問題外!不浄のうんこと野菜が密着するなんて考えられない!とインド人は思うでしょう


この人々の意識を、変える。習慣、文化を変えさせるのは絶対一筋縄でいかないでしょう
いくら、なんとこの消臭剤は人糞を肥料に出来ちゃうんです!ってみんなに役に立つ商品だ!って説明してもその国が今まで築いてきた文化、歴史、習慣、背景と合ってなければ難しい


海外に商品を売るにはローカライゼ―ションが必要だなんてよく色んな本に書いてあるけど、インドにきて現実を伴って実感した





インドってご存知の通りカースト制度が昔あって、職業ごとに何千っていう細かいカーストに分かれていたんだって。


洗濯屋は洗濯屋のカースト
チャイ屋はチャイ屋カースト
掃除屋は掃除屋カースト


とか。


で、みんな自分のカーストの仕事以外の仕事はしないんだよね基本。


例えば日本のレストランを想像してみて
ホールは全然忙しくなくて、でも厨房にお皿がいっぱいたまってたらホールを担当している人でも厨房の皿洗いを手伝ったりするじゃん


でもインドではそれがない。
皿洗いは皿洗いの人がやるから、わたししーらない。だよ


リシュケシュに行った時も泊まろうと思った部屋のお風呂場が汚かったから、オーナーに


「ご飯に行ってくるから、その間にお風呂を掃除しておいてね。」と言うと
「出来ない。」
「なんで?」
「掃除係が帰っちゃったから」
「あなたがやればいいでしょ?」
「私は掃除はしない。明日の朝掃除係が来てからじゃないと・・・」



こんな調子です。


結局

「やだ!YOU CAN DO IT!!DO IT!」といったら、やってくれたけど。


(YOU CAN DO ITって言葉を使った瞬間自分で笑えた)


てわけだから
みんなが道や外に平気でごみ捨てまくるのも、自分でごみをまとめたり、掃除しないのも、それをやるカーストの人がいるからなんだよね。


私はこの文化を仕事する上でも生きるうえでも、なんて物事の効率を悪くする文化なんだろうと思うけど

何千年の歴史があって、今こうなってるんだからそんな簡単に変わるものじゃないよね


インド人が、道にゴミを捨てなくなる とか
人のうんこを肥料に使う とか
それをこの超広大なインドでやってやろうと思ったら並大抵の努力?では実現しないっていうか無理って思っちゃうわ。


とゆうか、こう町に生きてる庶民の意識(アウェアネスと言ったほうがしっくりくる)に影響与えるのは難しい。


それでも小さく小さくゆっくりゆっくり初めていくしかないんだろうか
この広大なインドの地を想像するだけえ、気が遠くなってしまうけど。。
てか先進国脳で簡単に「変えて行こう」とか言うのもすごく傲慢な気がする。
庶民を変えていこうとか、そういうレベルじゃなくもっと他の方法を考えたい




*やっと静かになるデリー